地震・・・
2019年1月14日13:23頃、茨城県南部を震源とするM4.9の地震がありました。
これも東日本大震災の余震なのでしょうか?
実家は関東なので地震のたびにだいじょうぶかと心配になります。
今は関西在住ですが、関東に住んでいたころに東日本大震災が起きました。
被害の多かった福島県からは遠く離れていましたが、大きな揺れだけでも怖いのに、電柱がものすごく揺れていたので、倒れないかとものすごく怖かったのを覚えています。
しばらく電話など繋がらないし・・・今も思い出すとちょっと怖くなります。
なにより怖かったのがテレビでみた津波の映像です。
多くの方が亡くなり、今も見つかっていない方もいますね。
想像を絶する光景をテレビで見ていてもあれだけ怖かったのに、命からがら生き延びても死を目の当たりにした方々の恐怖は私の感じた恐怖とは比べ物にならなかったと思います。
辛かった気持ちや恐怖心などトラウマになってずっと辛い思いをしているかと思うと・・・
忘れるなんて無理でしょうが、残された方たちの傷が少しずつでも癒えたらいいのになぁと思います。
東日本大震災当時、我が家の子供たちは小学生と幼稚園生でした。
小学生の娘が帰宅した直後だったので、一緒にいる状態で大きな揺れが来たのは幸いでした。
大阪北部の地震では登校中の女の子が亡くなられてしまいましたね。
きちんと管理されていたら防げていたはずなのに、何の罪もない子が・・・辛すぎます。
一生忘れられない出来事・・・二度と繰り返さないようにしないといけないのではないでしょうか。
関東はもともと地震は少なくなかったと思いますが、東日本大震災後は大きな余震も多く、幼稚園生だった息子は余震が来ると机の下に駆け込み体をプルプルと震わせていました。
その姿を時々思い出し辛くなったりしたのですが・・・
当の本人はすっかり忘れているというwww←先日発覚。
トラウマになっていなくてよかった(⌒∇⌒)
たくましく育つ反抗期真っただ中の息子・・・強く育ちました。
震災直後はカップラーメンなど一人ひとつしか買えないなど食糧確保や、計画停電に伴い懐中電灯やロウソクがなかなか手に入らず苦労しました。
関西に住む友達が懐中電灯に使う電池やロウソク、お米や停電時も食べれるような食料を送ってくれたので友達にも分けるなどしながら生活しました。
困った時はお互い様だと・・・本当に助けられました。
お米も買えないし、ガソリンを入れるにも長蛇の列・・・
震源地より遠く離れた場所でも生活への影響がありました。
それでも家が半壊した友達宅付近では道路も車が走れるような状態ではなかったと聞いていたのでまだよかった方なのですが。
住める家があるそれだけで幸せだって思って生きていかないといけませんね。
本当にそれがどれだけ幸せなことか・・・。
東日本大震災のあと、登下校中に地震が起きたときなどすぐに連絡取れるようにと、防犯面も考えて学校に申請を出せば持ち込みOKだった携帯(キッズ携帯)を持たるようにしました。
しかし中学では一切持ち込みが認めらていません。
部活で遅くなる時など持たせてもらえたらなぁと思うのですが規則なので仕方ないですね・・・
大阪北部地震後に、学校に携帯持ち込みOKとなった学校が増えたようです。
投稿後先生に預け、紛失することがないように管理されているそうです。
保管問題など先生の負担などもあるのでしょうが、子どもたちの安全なども考え、わが子の通う中学校でも認めてもらえたらなぁと個人的には思っています。
起きてから何かするのでは遅いですもんね。
現在は関西にて生活しているため「南海トラフ」が来たら怖いです。
娘の通う学校が海寄りの位置にあるので、津波が来たらどの方向に逃げるとか考えておかないととっさには判断できなそうです。
また防災グッズも購入しました。
ただ家族人数分確保できていないため、再度見直ししようと思っています。
我が家ではこちらを一点だけ購入しましたが、現時点では3月下旬までに発送の予約販売となっているようです。
あちこちで震災が続き、防災意識も高まったのでしょうか。
とても売れているようですね。
他にも一人用だったり、女性向けのものなど様々なものがありました。
ひどい震災が起きた場合は、荷物も届かない状態になることもあります。
このような防災セットでなくても自分で必要なものなどをそろえて鞄に入れてすぐに持ち出せるところに置いておくのもいいかと思います。
私は東日本大震災の直後は、念のため車と家と分けて置くようにしていました。
いざという時にすぐに持ち出せる場所に置いておくようにしましょう。